どうも児玉です。
誰だって、
おチビの頃には沢山の夢を抱いてたでしょ。
戦隊ヒーローになりたかった・・・
パイロットになりたい・・・
宇宙飛行士がいい・・・
とか、
年齢が上がっていくと、
芸能人になりたいとか、政治家なんてのもいたかな・・・
でも、
サッカーをしてる子供の多くはサッカー選手になりたいって言うよね。
それがいつの間にか現実を知る・・・と言うか現実を突きつけられる。
保護者からね・・・
そりゃね、
保護者が子供の将来を案じて堅実な進路を考える・・・
妥当だと思うよ。
でもさ、
チャレンジもしないで諦めてない?
勝手に限界を決めてない?
私は、
夢=目標
って考えてる。
例えば、
定年後に海の見える丘に家を買ってゆっくりしたい・・・
こんな夢があるとしましょう。
これを夢で終わらせるのか?
目標にしてそこに向かうのかで全く違うと思うんだ。
私の親は、
私のやることに凄く寛容だったと思う。
なにをするにも子供の私にやりたいようにさせてくれた。
行きたい高校も自分で決めたし、その後の進路にも口を挟んでくることはなかったんだよね。
本当に凄く感謝してる。
だって、お金を出すのは親だからね。
口出ししたくなるでしょ。
でも、「サッカーの事は分からないから・・・応援するしかない」
って言ってくれた。
きっと、プロの世界に入れなくても何も言わなかったんだと思う。
だから、ストレスもなく思いっきり挑戦できたのかな?って・・・
夢に向かって頑張ってる時ってウキウキしない?
ワクワクするでしょ?
それを奪う権利は誰にもないと思うんだよね。
これがさ、
「東大に行く!」なんて目標なら応援できるけど「プロサッカー選手になる!」って言うと応援できない。
だって東大を目指して駄目でも他の大学に合格出来るから・・・って感じ?
どうしてもダメだった時っていうのを考えて動くんだよ。
これもリスクマネージメントなのかな?
私の場合は、
熱意が凄かったらしい・・・
その熱意は今でも当時の同級生に言われる。
前述したモーツァルトの名言には他にも
”みなさんが認めてくれる私の才能は、あるお守りのおかげだと思います。そのお守りとは勉強です”
これはモーツァルトの天性の才能に加え、積み重ねた努力の事だと思ってます。
夢中になる姿や熱意が周囲を認めさせ、動かし、そして見守る。
お守りって心の支えだったり安心だったりするでしょ。
あのモーツァルトでさえ、練習を積み重ねなければ安心出来なかったってことじゃない?
これが、
夢に向かって夢中になる前に止めてしまったら”お守り”も持てないよね。
思いっきり挑戦出来る環境。
そこまで頑張れた選手なら、もしダメでも他の事も頑張れるよ!
だって数値化するとプロになるのは1/2500なのよ。
ここにトライした後なら、どんな世界でもだいたい乗り越えられると思わない?
今の私の夢は、
多くの選手達に最高の環境を与える事です。
目標に向かって突き進む道を作ること。
私の親が私にしてくれたように・・・
それを地域でやっていきたい!
そんな目標に向けて輝きはじめた児玉でした。