どうも児玉です。
我々は、
お子さんをお預かりしているのですから、しっかりとしたマネージメントが出来てなければなりません。
昨夜遅くに知り合いから電話があり、経営の理論について話しました。
その中でも、興味深かったのが子供同士に対してのマネージメント。
例えば、
クラブ内でのイジメ。
意外にも多いこの問題。
なくならないのは何故なのか?
世の中に真剣にイジメを撲滅しようと試みてる方がいらっしゃいますよね。
勿論、
その努力でその一時のイジメが改善されることもあるでしょう。
そして、
その熱意にはリスペクトなのですが、本当に解決されているのかが疑問なのです。
本当に根絶できたよ!って方いるのかな?
だいたい、
目に見えてる部分って一部だよね。
そんな一部でも改善できれば良いけど、
大抵は見逃してるか、見過ごしてるか・・・
暴力を肯定するつもりは全くないんだけど、
昔は暴力教師がいたでしょ。
本当に怖かったよね。
私の学校にもいたよ。
でも、
私の知る限り、その先生のクラスではイジメがなかったんだ。
なんでだろ?
実は、
ありがたいことに、大人になってからその先生に話が聞けました。
その先生曰く
「私が絶対的な存在である必要があった」
その理由は、
「現在の少子化とは違い、生徒数の多さと監理する人員の少なさを補うため」
「嫌な奴が、私であれば矛先は私になる」
「しかし、矛先が絶対的に怖いからピリッとした空気が流れる」
「最初は生徒同士の八つ当たりなんかも耳に入ってきたけど、もし陰でやってるのが先生にバレたら?という感覚が強くなっていき、いずれ聞こえてこなくなった」
「本当の意味で改善されたかと聞かれれば、違うであろう」
「でも、少なくとも学校内でのクラスでイジメはなくなったよ」
「ある意味私がクラスのボスザルになることによってね」
「まあ、卒業式後に悪かった生徒に私が呼び出されたこともあったけどね・・・笑」
と、
こんな風に話してくれた。
確かに、
クラス内でのイジメはなかった。
どこで線引きするかで変わるけど、いわゆる「イジメ」ではなかったんだ。
だって、人と人の付き合いだからパワーバランスはあるよね。
リダーシップを発揮する者がいて従う者がいる。
これが強制になるのかならないのかでキャプテンシーという呼び名にも変わったりするのかな。
”キャプテンシー”
その名の通り、船長からきてる言葉。
船長が船員をイジメたりしないもんね。
私が今までサッカー界で見てきた中で、
イジメをしてるような奴が上に上がれた事はなかった。
ん??
逆を言えば、
上がれないからイジメをしてたの?
それは違うと思う。
イジメなんて幼稚な事をしてる時間がないんだよ。
真剣に取り組んでるから、余計な時間はないんだ。
だから、
正しくはそんな事に時間を費やしてるからそいつはダメなんだ。
今の時代で、
その先生のような事は出来ない。
でも、
幸い、
ウチではイジメ問題を聞かないのは、
みんなが真剣に打ち込んでるからだろうか?
ただ、
私が絶対的な存在であることは重要だと思ってる。
全ての船員を次の港まで送り届ける義務があるから。
”キャプテンシー”
これは本来、
我々指導者に最も必要なスキルなのだと感じてる。
今回は船乗りの話になったのでワンピースバージョンでお届けした 、
児玉でした。
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