どうも児玉です。
埼玉県は雨降りの朝になりました。
練習も中止になったのでブログを更新します。
今回は厳しくする事と厳しさを教えることは違うということを書きたいと思います。
これは育成現場に限らないんだけど、最近、とかくパワハラだとか暴力指導者の話が出てくる。
私の時代なんかど真ん中だったよ・・・
ここでは書けない・・・書けるか?(もう時効だね)・・書いちゃうけど、鉄パイプで叩かれながら練習してたよ。
吐いても、倒れようとも最後まで走らされた。
そして、
骨折した選手や入院した選手も実際にいたからね・・・。
そんなことがどこでも普通にあった時代。
あれはもう指導じゃないし、今でも全く美化する事も出来ないけど、
実際に必要な厳しさってのも間違い無くあるんだよね。
私は、
ブログの中で山登りに例えてることがあるけど、まさにこれも同じ話。
例えば、
軽装で散歩気分の登山者が遭難することがあるよね。
山の厳しさを知らない訳じゃないのに、軽い気持ちで事故に遭う。
一つ間違えば命にも関わることなのに甘く見ていたことが原因。
春の山では特に心が緩んで多いと聞きます。
じゃあ、
アナタの目の前に軽装で入山しようとしてる人がいたら声を掛けられるかって話。
その登山者が何処まで登るのか?
どのルートを選択するのか?
どんなペースで登るのか?
どう見ても、
明らかに危険と分かるとしたら・・・
装備やペース、技術レベルに対して注意できますか?
大抵は、
「気をつけてくださいね」
程度しか伝えられないでしょ?
これじゃ、なんの責任もない綺麗事。
でも、
我々のように育成に携わる者は違うよね。
一人一人のルートと頂上までのペース、到達を目指す為に必要な技術・・・そしてゴールが分ってるわけ。
だから、
そこに待ち受けてる厳しさを伝える責任があるんだ。
これは、
威嚇したり、選手に対して厳しく接するのとは全く違うんだよね。
これを、
世間には同じ括りで捉える方がいて困惑してしまう。
時には、
私だって感情的になることがあるから、そんなに偉そうなことは言えないけどさ・・・
でもね、
本気で接しているから、本気で頂上にたどり着いて欲しいから厳しさを伝えてるんだ。
きれい事じゃないからね。
それを経験者として伝えること。
もう義務だと思ってる。
これは決して、
試合に負けたからだとか、ミスをしたからだとかそんな小さなことじゃない。
ゴールに向けての覚悟や情熱。
目標に対して取り組む姿勢なんだよね。
だから、
ウチでは個々に接し方が違うんだ。
時折、
「不平等だ」とか「アイツは楽で良い」
なんて聞くこともあるけど、標高200mの登山者(ハイキング)と、乗鞍岳や谷川岳の登山者が同じじゃないことくらい理解しろよって・・・思うんだ。
平等ではなく公平なんだということ。
楽しくやりたければハイキングでいいんだよ。
そういう選手も実際にいるからね。
それならそれで良いじゃない?
方向性は自分で決めるもの。
厳しさを自分で選択した選手にはその道の険しさを伝えるでしょ?
登る山を変えさせたくないから言ってるんだよ。
保護者の皆様だって同じだと思う。
宿題をやらなかったり、時にはテストの点数でガミガミ言ってたりしませんか?
ZOO sports clubでは、
選手の事を真剣に考えているからこそ、一人一人の目標に沿った指導を心がけてます。
求め方の違いはそこでうまれてるんだということ。
中卒で働くって子と東大を目指すって子への伝え方は違うわけだから。
決して、
憎くって言ってるわけじゃない。
どうでも良けりゃ、そのまま送り出す方がコッチは楽だからね。
今回は指導についての質問がきたので、ウチの考えを書きました。
明日はお休みで明後日の土曜日から休日トレーニングに入ります。
それぞれが目標に向かって装備(準備)してほしいと願う児玉でした。
*お問い合わせは公式ホームページにて