どうも児玉です。
昨日は日曜練習日。
いつものように家を出てグラウンドに向かう。
通り道に近隣の強豪クラブが活動しているグラウンド脇を通っているのですが、見慣れたマイクロバスが停まってた。
交流のある東京の名門クラブだった。
おそらくトレーニングマッチにでも来ているのだろうと思い、
早速電話してみる。
すると新1年生(中学)のトレーニングマッチに来たということでした。
そうか、
もうそんな時期だ・・・
カテゴリーの呼び方が代わるんだ・・・
同時に
現3年生は卒団生になるということ。
この時期は色々考える・・・
この1年で選手達は成長できたのか?
卒団生に伝え忘れてることはないか?
新入団生への対応に不具合はないか?
ここで私の購読ブログを共有させていただきます。(いつも勝手にすみません)
私は全くジャンルの違う事から多くの情報を得る事があります。
特に、この方(goumajiさん)の記事に共感することが多い。
大人が勝手に作ってしまう環境に子供達を組み込んで、それが当たり前になっていないか?
子供もそれを望んでいると勝手に思い込んでいないか?
伝統や勝手な常識に流されて本質を見失う。
サッカーの世界でもAチーム、Bチームっていうのがある。
文字通りAチームの方が上という一般的な認識なんだけど、これは上記の「クラス分けをしない理由」にも当てはまる。
結局、選手の意識を何処に向けるのか?
育成でもココは大事なんですよね。
今、スポーツの育成現場で取り沙汰されている、いわゆる「補欠」。
ウチでは補欠はありません。
スタッフが勝手に巧い子、下手な子なんて決めません。
だから分け隔てなくチームを組んでます。
だって、
子供達には子供達のネットワークがあり、巧いか下手かなんて関係ないんですよね。
だから、
どんなレベルの子供に対しても、ひたすら上昇志向になるように取り組んでます。
勿論、そんなに人数が多くないウチのクラブだから出来ることかも知れないけど、下手な子供が下手なまま卒団するのは指導者としては負けだと思っているから。
如何に成功体験をさせられるか?
如何に意欲的にさせられるか?
「補欠にはなりたくない」
とか、
「俺は絶対的エースだ」
や、
「もう、補欠でいいや」
って所から始まると、そこから更に意識を高めるのは難しいでしょう。
そんな事から、
指導者が勝手に枠組みを決めるのは危険だと考えております。
今後もコチラの意図を伝えつつ、選手の意識を尊重して足並みを揃えて行きたいと思います。
現場では全く考えていないで、ただ座ってるように見えるかも知れないけど、実は色々考えてる児玉でした。